2022年3月19日土曜日

要石とは、神道大辞典 第一巻より引用

 高橋留美子『MAO』を読み直していると、第二巻の80ページに「要石というのは地震を鎮めるといわれる霊石だね。」というセリフが出てくる。「神様が要石でナマズを動けなくしていると…」「正式な要石は茨城の鹿島神宮と千葉の香取神宮にあって、それぞれナマズの頭と尾をおさえつけているというんだけど。」と主人公のクラスメイト白羽くんのセリフは続く。

1941年出版の『神道大辞典』には次のような解説がある。

神道大辞典 第1巻

カナメイシ 要石

官幣大社鹿島神宮境内にある石。石御座(いしのみまし)ともいふ。鹿島の神が降臨の時、この石に座し給うたといはれていゐる。『夫木集』に見える。「たづねかねけふ見つるかな千早ぶる御山のおくの石のみましを」とは、光俊朝臣がこの宮へ詣でて要石を詠んだものである。この石は、地中にある大魚を貫いて、その動揺によつて起る地震を防ぐといふ傳説が、諸書に見えていゐる。思ふに鹿島神社の祭神は建御雷命で、この神は高天原から征夷大将軍として豊葦原に下られ、諸國を平らげ、國土を鎮められたことから、要石で大地を押鎮められたという傳説を生じたものであらう。要石は別に又香取社内にもあつて其の關係から鹿島香取の地には要石のために地震がないといふ。謡曲の要石は之に基いて作られたもので、喜多流では之を脇能物とする、シテ建御雷神、前ツレ神霊、後シテ天女、ワキ奉幣使、ツキツレ従者。勅命によって鹿島の宮に詣でる奉幣使、常陸の國へと急ぐほどに高天の原に著き、夫婦の海人に會つて高天の浦や、三笠山、鹿島の謂れより、更に天孫降臨の時の建御雷神の功、鹿島の神の惠などの長物語を聞いて、やがて導かれて神の廣前に詔を述べ都へ歸らうとする時、天女現はれて建御雷神の功をまのあたり見せ、堅く契る要石の動かぬ御代を目出度く祝ふという筋。


 鹿島デジタル博物館による現在の要石



MAOを読んでいると陰陽道にまつわる知識が出てくる。神道大辞典を開いたついでとして陰陽道の項を読んでみた。

オンヨードー 陰陽道

「オンミヤウダウ」ともまた「オンニヤウダウ」ともいふ。支那の陰陽五行説に基づいた俗信から出た方術。支那より三韓を経て傳来したもので、推古天皇十年十月、百済僧観勒が暦本、天文地理書、遁甲方術書等を貢いだのが最初で、天武天皇の御代に己に陰陽寮が置かれた。『令義解』によれば、陰陽寮に頭、助、允、大小屬各一人、外に陰陽、暦、天文、漏尅等の事を掌らしめたとある。賀茂忠行、保憲父子、暦、天文の両職に任ぜられ、保憲は子光榮に暦道を傳へ、忠行の高弟安倍晴明に天文道を傳へよりこのかた、賀茂、安倍両家で陰陽道分掌の端を開いた。 中世以降、晴明の後裔土御門家が代々陰陽頭または陰陽博士となり、江戸時代に至っては、諸國の陰陽師を管轄し、同家の免許なくしてはその業をなすを得ないこととなつた。由来陰陽と五行とは支那人本来の哲學思想の最も著しいものであって、日常耳目に触れる事物、例へば天地、日月、男女、晝夜、吉凶など相對的に區別して意識する、二箇の相反せる概念を、あらゆる事物や現象に當て嵌めて、天地間を貫く一定の理法若しくは萬有の本源としたのである。よつて一切萬物は皆この二氣の和合によつて生成すると考へてゐる。又五行とは木火土金水の五で、是亦古人の日常経験に基づき、人生に直接の必要ある五のものを選擇した事に起源を發し、一切の事物を悉くこれに配當したのである。これ等二の思想は互いに融合して發達したが、更にこれに識緯の説を交へ加ふるに道教の神祭法又は行事等を加味するに至ったが、我が國に渡来した陰陽道の内で、公に採用されたのは主として天文、暦道及びこれに關聯する漏尅などで、これは既述の如く大寶令にも規定せられたが、その宗教的方面は廣く民間に弘通しして、吉凶を卜し、趨避を辨じ、方位、日時、一身、衆人、一事、諸事の吉凶を説き、國家の政務は勿論、冠婚喪祭の大より、洗髪剪爪の末に至るまで、悉くこの理法に基づくとなし、これが除災の手段として、祈禳、祭祀の法を講じた。四角四境祭、本命祭、竃神祭、七瀬祓、巳日祓、河臨祓等は即ちこれである。その他符咒、禁厭の法等も常套手段として行はれた。これ等の祭日祈禳符咒等が、我が國古来の神祇奉斎の思想竝に儀禮と相似せる點の多かりし所より、早く平安時代に我が神道界に攝取せられて融合發達したのである。


さらに MAO に影響されて泰山府君のことも、神道大辞典にあるものを引用しよう。


タイサンフクン 泰山府君

支那山東の泰山の神で、天帝の孫であると稱する。故に泰山を一に天孫嶽ともいふ。道家の説では、昔、赫王氏の裔孫に彌綸仙女といふがあつて、夢に感應して金蝉氏、金虹氏の二子を生み、金虹氏が東嶽帝君、即ち泰山元帥であるといつてゐる。支那上代の説によれば、東方は萬物の始めであるから、人の生命魂魄を司どるのは五嶽中の東嶽(即ち泰山)の神で、死者の魂魄はここに歸するものであると信じ、唐代にはこの神を天斎王に封じた。現今でも所在に祭られてゐる東嶽廟の主神である。然るに當時支那に傳来した佛教は早く道教と習合して、一種の本地垂跡説が行われていたので、その泰山府君もいつしか閻魔大王の分身であるとか、太子であるとか、又は眷屬であるとかの説をなし、遂に十王の列にさへ加えた。我が國に渡来した泰山府君も、佛教と習合したそれであつたことは疑いなく、泰山府君の本地は地蔵菩薩であると唱へられ、專ら陰陽家の祀る神であつたが、やはり長壽を護る神であると考へられてゐた。赤山明神は泰山府君で、その本地は地蔵菩薩であるといはれてゐた。然るに陰陽家はこの本地の説を信奉せず、泰山府君は素戔鳴尊であるとか、三輪明神であるとか稱してゐた。また七福神の一に數へられる福禄壽も泰山府君と同様であると稱せられてゐた。



五行

木、火、土、金、水

惑星(五星)

木星、火星、土星、金星、水星

青色、朱色、黄色、白色、玄色

四季

春、夏、、秋、冬

四神

青竜、朱雀、、白虎、玄武








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