2026年11月1日日曜日

伊予鉄会館が解体されている

 


この解体された跡地の横を通って松山城へ登る道を歩く。

日曜日のお昼時だったが、人出は少なかった。


懐中日記を買う、ボールペンと一緒に

今年もあと2ヶ月残すばかりとなった。

月日が過ぎるのは早い。そこで数日前から翌年の手帳を探していたが、お城の近くにある中心街の通りに面したお店で博文館新社の『懐中日記2027』を買った、ついでといっては何だが一緒にボールペンも色を合わせて。


 いや、日記とペンはあわせて買うものでしょうと、自分を納得させた。

この懐中日記を開くと、左右それぞれのページに縦に二日分を縦書きで書き込めるようになっている。さらに文字が小さいが左右ページの折れ目に歴史に残る著名人の名言集が一行縦書きに印刷されている。

わたしの気になっている日には藤原師輔(ふじわらのもろすけ)による『長久の謀は天年を保つ』の一言があった。Wikipedia English 版を link したのは、日本の歴史にうとい自分にはことらの方がよくわかったため。

Fujiwara no Morosuke は、Personal Diary や 子孫のために dying instruction を残したことでよく知られている。


2026年10月25日日曜日

Dogo Yuzuki castle

 





道後の「ゆづきじょう」は、湯築城と書くのがふつうだ。
しかし、同行した見学者の一人が「つき」は「月」の可能性はないかと管理者に質問したところ、

管理者は「ツキ」は「付き」の意味もあったようなとの答えだった。

わたしが先週、高松の玉藻城のお堀を小舟でまわったとき、
船頭さんが月見櫓(つきみやぐら)の「月(つき)」が、「着く」の意味で、瀬戸内海から玉藻城に向ってくる船を監視していた、という意味の解釈を話してくれたこととの関連で、言葉は音に本来話し手の意があって、漢字表記はあたりさわりのないようにつけたものかもしれないと思い出した。

湯築城も、そばの道後温泉に付いた城だったのかもしれない。さらに遡れば、
ぬかだの大君のうた、

    熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

も思い浮べれる。


2026年10月23日金曜日

PHP と PHP

 日本で、ふつうの人々が Web site の仕組みに関心を持つことはないし、それは アジア全体はもちろん世界中で Web のプログラムに関係してる人は 千人に一人以下だろうか。


今朝のある朝刊に川柳の投稿があって、雑誌 PHP の創設者だった松下幸之助と Web の PHP をうまく絡ませていた。

昨日も身近なWebを閲覧して回ってみたが自治体関連は一部機能にアクセス制限をかけて公開していた。身近なところでWeb制作をしてる企業のページを開くと

になって全閉じのものもあった。

たぶん仕事が忙しいのでしょう、関係者にメールで問い合せてみた雰囲気で感じた。またWebにかかわってない社員は関心がなかった。その会社の Web は何もしてなかった。

コロナ騒動のときに、みんなウイルスとその新しいタイプのワクチンのことを知らず、それがなにか知ろうとしても、世間に流れる情報は根本的なものがわからずじまいで、政府自治体の決定にしたがうしかなかったことを思いおこしました。





2026年10月15日木曜日

ここひと月の日本でのおよその県・地域別地震回数

 9月15日から10月15日の気象庁地震情報一覧より震度1以上のおよその

地域別地震回数

熊本            78

茨城            13

千葉            11

岩手             8

福島             7

奄美             6

宮城             6

トカラ列島  6

沖縄             4

根室             4

宮崎             3

日向灘         3

宮古島         3

新島・神津島 2

釧路             2

遠州灘         1

栃木             1

秋田             1

岐阜             1

岡山             1

愛媛             1

硫黄島         1


2026年9月21日月曜日

日本の「認知症の日」に小倉金之助『日本の数学』を開く

 

表紙の扉を開くと、「和算は、わが国の学問の中で最もよく日本人の独創性を発揮したものの一つである」と記されてある。









そのはずなのだが、小学生の頃の算数の授業、中学生の数学、高校と和算のことは授業になかった。

中学生の頃、ふとしたはずみで図書館で手にした解析学の本もヨーロッパの翻訳本だった。代数がアラビアからはじまった話を知ったのはこの頃でした。あの頃、関孝和がやったことなどを聞いていたら、また人生がかわっていたかもと思う。高校性になって『塵劫記』のことを知っても所詮、算術の枠の中のことと見做してしまうこともなかったかもしれないと人生を振り返る。

まだ子供だった頃のこと、 Dementia は日本で 痴呆 (chiho) と呼ばれていたのに

 今では、認知症と呼ばれている。

今日、9月21日に思ったので、

それを Gemini に聞いてみると、下記の 2つの事実があるという。

なんだか日本語というか日本文化の変化する実体を日本国民のほとんどはほんとにわかってるのかな?


Key Historical Milestones
  • 1908 (The Origin of "Chihō"): Professor Shuzo Kure introduced 「痴呆」 (Chihō) for Demenz to replace harsher, stigmatizing kanji like madness or lunacy. [1, 2]
  • 2004 (The Shift to "Ninchishō"): Over time, "Chihō" acquired negative and insulting connotations. To reduce stigma and encourage early care, the Ministry of Health, Labour and Welfare rebranded it to 「認知症」 (Ninchishō) (cognitive disorder). [1, 2, 3, 4, 5]

伊予鉄会館が解体されている

  この解体された跡地の横を通って松山城へ登る道を歩く。 日曜日のお昼時だったが、人出は少なかった。