庭のこの葉っぱに住みついてるバッタ達。
町内のスピーカーから三橋美智也の「神輿音頭」が辺りに響く。
この時期になると祭行事のひとつというかバックグラウンドになってしまったのはいつのころからか、よくわからない。
「Uta-Net」で検索をかけても三橋美智也のところには、ない。
作詞者は矢野亮で「神輿音頭」があるけど、歌手は「えひめ憲一」となってる。
これでは、いかにも造った名前の印象を受けてしまう。
さらに、NDL.GO.JP の「リファレンス事例」に次の質問が載っていた。
松山市の秋祭りでかかっている曲「神輿音頭」について
1 歌詞
2 作詞・作曲者、歌手名
3 いつから祭りの曲として使われているか。
しかし、未解決 のままでした。
よくわからないまま、いまも町内のスピーカーのボリュームは下がらない。
いや、この町内のスピーカーは災害などの臨時情報を流す目的もあるのだけど……
祭とはなんだろう。
と考えていると、しばらくして、子供みこしの行列が家の前までやってきた。
朝からの小雨が止まないなか、子供達はちょっと元気に欠けているかな、
でもワッショイのかけ声を上げながらまわっていった。
いつの間にかスピーカーからの神輿音頭は聞こえなくなっていた。
いまさらですが、
x.com の名称ロゴ 𝕏 をネットに書き込むとき、文字コードがわかっていると役に立ちます。
Unicode (ISO10646) で、
0x1D54F
です。これは、イーロン・マスク本人が 𝕏 で使ってるのを emacs のコマンド M-x describe-char で確かめました。
ローカルニュースで、伊予の松山城を囲むお堀の東南角地にあり、「お袖狸」を祀る神社にある八股榎(ヤツマタ エノキ)と呼ばれるエノキが折れたと聞いた。
このニュースを聞いてふと思い出したのが、母方の祖母がよく「伊予には人を魅すタヌキがいた」という話をしたのを子供心に、えっ何それタヌキなんか見たこともないよ、人間をだますって、どうやるの?ホント?それ?ばあちゃんは見たの?という具合にまったく信じられない思い出だった。
そのときばあちゃんが「これはホントにあったことだよ!」と言って話してくれたのが、夜中、汽車に化けたタヌキが線路を走ってくる本物の汽車に対向して反対側から走って衝突した、という事実だった。汽車の運転手は向こうから来る機関車にビックリして急停車したが間に合わず、そのまま衝突したのに何の衝撃もなく素通りしたのであれは何だったか錯覚だったかとそのまま車庫に機関車をしまい帰宅したらしい。
ところが翌朝になって現場を見ると……
という話しなんです。子供の時の記憶ではあいまいなまま。後年、何度か思い出せば出すほど脳内でストーリーの細部を思い出そうとすればするほど、色や影や音などが適当に都合の良いように再生され修正されてしまい作り話になってしまいました。
そうこうするうちに、大人になってというか、子規や漱石のことを知ってから狸のことで、東京にいた子規に宛てて松山の狸を漱石が俳句にして送ったことがあるのを知りました。
枯野原 汽車に化けたる狸あり
祖母はこの俳句を知っていて孫に聞かせたのかどうか、さらに汽車に化けた狸の話は漱石の松山中学にいた時代には松山では有名な話だったのかどうか。
ちなみに、祖母の父は松山中学から漱石と一緒に東京に行った人でした。
そこで、まだ続きがあります。
祖母からこの話しを私が聞いたのは、まだ小学生になる前のことで歩いて3分のところにある保育所に通っていた頃のことでした。
保育所といってもお寺が運営していて住職の奥さんが近所の子供達の世話をしているという程度のところでした。そのお寺は祖母の夫が亡くなったときに四国八十八ヶ所で有名なお寺の一つから住職さんがやってきたという歴史のあるものでした。
そのお寺から3分ほどのところに祖母が住む家があったのです。
その東南の角地に石造りの祠がありまわりを囲んで塔婆がたくさん残っていました。保育所へ行く途中にも自分の背丈くらいの塔婆が立っていました。
近年、そこらあたりの土地を整理するために近所に生き残っていた古老に古い古いお話を聞いてみて100年ほど前までその祠のあるところにエノキの巨木があって、それにまつわる何やら怨念のありそうな怖いお話を伺ってしまいました。
以下、古老から聞いたお話しをできるだけ忠実に再現してみます。
その大きなエノキは背が高く、地元の人だとよく聞く地名の東長戸あたりから目視できたそうです。東長門は、祖母の住んでいた家がある堀江からおよそ一里、4キロメートル離れた地域です。堀江から松山城に向う街道の折れ曲った角のあたりが東長戸になります。
エノキのあった祠のあたりの標高と東長戸にある中学校の校庭の標高を freemaptools.com で調べると、それぞれ6メートルと15メートルでした。ただ途中に山がかかる場所があり直視できたかどうかとどの地点から堀江のエノキを目視したのかは現代では建物などの障害物でよくわからないのが正直なところです。
ただ、この堀江のエノキが目撃できたというあたり、街道の曲り角のすぐ近くには伊能忠敬休息之地と松山市が立てた看板もありました。
この續きはまた。
きっかけは『ホワイト・ジャズ』に興味を持ったのがきっかけですが、
注文しようとしたら、日本語訳はほとんど絶版のようになっていて、
キンドルでサンプルを読みはじめると、スラスラ読めるようなものでは無い
ことがわかって逆に紙のペーパーバックスでシリーズを注文しようとすると
L.A. Quartet の 3 と 4 は国内在庫があって注文したら翌日に届いた。
ほんとは 1 から読むのが正しいんだろうけど、興味を持ったところから
読みはじめようと 手元の 2冊をながめています。
`L.A. CONFIDENTIAL' は 1990年に出版、`WHITE JAZZ' は 1992年にそれぞれ初版が出版されていた。
巻頭の引用句は、それぞれ
A glory that costs everything and means nothing --
Steve Erickson
In the end I possess my birthplace
and am possessed by its language.
--Ross MacDonald
です。
この本を開いて L.A. Quartet の著者 James Ellroy が生まれたのは、わたしが生まれる一年前の年だったのをはじめて知りました。`L.A. CONFIDENTIAL' のプロローグは、1950年の2月21日からはじまっている。
3月8日金曜日
SPACE SERVICE
TNSC ミュージアムショップ
鹿児島県熊毛郡南種子島町茎永
TNSC ステッカー中500
3月9日土曜日
杉匠
熊毛郡屋久島町安房650-113
ステッカー300
屋久島ぐるり、ルート78/77
3月9日土曜日
屋久杉自然館
鹿児島県熊毛郡屋久島町安房2739-343
屋久杉 実物年輪標本
庭のこの葉っぱに住みついてるバッタ達。 上の2つの写真の翌日のこと、なんと二組がおんぶして登場