昨日の金曜日に戻ってきた車。
市内だけだが、用達と買い物にでかける足につかう。
以前にも使っていたマイ何とかアプリとリンクしてみると、車載コンピューターもリセットされたようで、以前の走行記録が消えていた。まあ、これはこれでかまわない。あと、メンテの記録が更新されていた。
昨日の金曜日に戻ってきた車。
市内だけだが、用達と買い物にでかける足につかう。
以前にも使っていたマイ何とかアプリとリンクしてみると、車載コンピューターもリセットされたようで、以前の走行記録が消えていた。まあ、これはこれでかまわない。あと、メンテの記録が更新されていた。
寝室には常用のスマホを持ち込まないのだが、昨夜は枕元に置いて寝た。眠りについて一時間くらいか、スマホから緊急地震警報!
びっくりしたのと目が覚めたのと……
間も無く、横揺れがやってきた。
テレビをつけると、NHKが大分あたりが震度5の表示……
幸い、自宅では物が落ちたりとかはなかった。
その後も日向灘では地震が続いている。
どちらも日用品です。が嗜好品でもあり、買わない消費しないライフスタイルもありですけど、まあコーヒーは一日に何度も飲み、車も日常使う習慣なので、どちらも、ほぼ定期的に買います。
豆は100グラムで600円くらいのものをと、ある程度、そのときの気分で選択できます。
しかし、ガソリンは、ほぼ価格が決まっていてコーヒーのようにブレンドでいえばビターかマイルドかあるいは細かく産地までということもなく、レギュラーかハイオクしかありません。
タンクを一杯まで入れるかどうかくらいかな。
15リットル入れると、4種類の豆を100グラムずつ買うのと凡そ同じくらいの値段になります。
家でのガソリン消費が少ないというか、車に乗ってないのは故障が多いため。昨年から二度ほど大きなトラブルに見舞われてしまい、まだ車屋さんで修理中。
一度目はエアコンの冷媒が漏れてしまい、それが国内では普及していない品種だったためで時間がかかってしまった。
二度目は、ブレーキの倍力装置がどうも動かなくなってしまった。ハンドルは電動アシストなので油圧系統がトラブルをおこしてもだいじょうぶだけど、ブレーキはどうしたものか脚がひきつるくらいの力をかけてもペダルがびくともしなくなってしまい修理にだした。
オイルパンをはずしての作業で時間がかかるが、さらに重要部品を交換したためテストに手間がかかっているという連絡。
これが、長い前置きですが、たまたま今朝の Eテレで SCA のお話があった。
ふつうの日本人では日常、
S が sensor
C が computer まではいいとして、さて A は??
Actuator というのは ? なんではないでしょうか。
アクチュエーターは、メカニカルなアクションを起すための装置ですね。
この部分は、機械と人間との相互作用にかかわるところで、機械と人間が協力するところで、とても大切なものだと思います。
さて、ここが故障というか何か問題を引き起こす可能性を抱えているとすると不安になります。
まあ、機械を使う、利用するときにあまりそこに神経を使うと気分が良くないので、機械はシンプルにして、修理のための手作業を楽にするようなものを作りたいですね。
しかし、どうも時代が進むにつれて、複雑化してしまうようです。
生物的な進化とは違う、社会システムの進化でしょうか。そもそも進化ではないのかな。
どうしても電気だけでは暖さが違うようで、灯油を買いに行く回数がふえる。
支出記録を見ると、ほぼ五日ごとに18リットルの灯油を購入して消費している。
一日あたり3から4リットルを燃やしている計算になる。
車で消費するガソリンより家で消費する灯油の方が多いことがわかった。
このサイトに詳しくFORNAXあたりからANDROMEDA付近までの説明されているが、若干日本からとは観測位置が違っている。ERIDANUSも日本からだと、下のあたりが地平線下になってしまうから。時刻は、下の図では、UTになっている。
天体観測用には、デスクトップだと
https://stellarium-web.org/
スマートデバイスだと
SkySafari
を使ってる。
その翌日だったか所要で京阪神にでかけた帰り、交通は混乱していて飛行場までたどり着けず困ってしまった。急いでいたため大阪南港まで行きフェリーに搭乗した。そのフェリー便は九州行であったが神戸などから避難する人々が一杯のために客室はほぼ満席だった。家族連れも多く不安な話し声が深夜まで続いていた。
また船が神戸沖を通過する際には余震があり海はうねりフェリーの客室はどよめくほど大きく揺れたのが記憶に残されている。
あけまして
おめでとう
ございます
本年もどうぞよろしく
お願い申し上げます
2022-1-1
壬寅 みずのえとら
1762 宝暦12年 1842 天保13年 1902 明治35年 1962 昭和37年 2022 令和4年
天保13年以前にあった出来事で直接耳にしたものはさすがにない。
明治35年は祖母が生まれた年であった。彼女がまだ幼かった頃、「自宅の蔵にロシア人がいて、たまねぎを生で丸ごと食べるのを見た。怖かった」という記憶を聞いたことがある。明治37、38年にあった日露戦争で捕虜になった兵士だったのかどうか詳細不明。
昭和37年頃は、日・中・米関係があたらな局面になりつつあったのだろうか。昭和43年に小笠原諸島復帰、昭和47年沖縄復帰、日中国交回復。
庭のこの葉っぱに住みついてるバッタ達。 上の2つの写真の翌日のこと、なんと二組がおんぶして登場