「移植とか、模倣ということについては、われわれ日本人は優れた能力をもっていますので、……」
「少数の学者が外国に学んで、数年目毎に帰朝されるたびに、学問が飛躍するといった状態は、その後もまだ続いたのです。いや、昭和の今日においてさえも、……」
小倉金之助『近代日本の数学』
令和2年10月ハロウィーンの日に思った。「移植とか、模倣ということについては、われわれ日本人は優れた能力をもっていますので、……」
「少数の学者が外国に学んで、数年目毎に帰朝されるたびに、学問が飛躍するといった状態は、その後もまだ続いたのです。いや、昭和の今日においてさえも、……」
小倉金之助『近代日本の数学』
令和2年10月ハロウィーンの日に思った。
4ヶ月ぶりに満タンにして、15.04リットルしか入らなかった。
走行距離燃費も、連動アプリが正確に記録しているので見るとまあほとんど走っていない。
そうそう、燃料を給油した記録を確認しているのは、この車メーカーのアプリのせいかもしれない、やっぱりいろいろと効率を気にするようになるのはデジタルのせいかもしれない。
しかし、デジタルはほんとに手間がかかる。余分な操作をしなければならないし、正確に記号と図で表示されるからあんまりいいかげんな入力をしていると、アプリから叱られてしまうようで、なんかやり直しの回数も増えてしまい余計に時間がかかってしまいます。
タブレットで絵を描いている漫画家が、デジタルにして描きなおすことがふえた、アナログのときはまあこれでいいかとしてたのがデジタルだとちょっと気になるとあるテレビ番組の対談で言っていたが、これは社会を変えている大きな隠れた要因かもしれないと思う。
意外に社会変革というのは、こんな無意識から起きるのではないか。
ところで、このスタンドではあるサービスに登録すれば値引きができるようになっている。いままで面倒で放っておいたけど、ちょっと気になり店員さんに声をかけた。すると、
LINE に友達登録すれば、次回から値引きです!
その場でやろうと「いますぐ確認ボタン」をクリックしようとすると、あ!!いまやらないで!次に来られたときにおねがい します。」
なんか次回は、あんまりガソリン使わないから、忘れそう。
そうか、やっぱりまたすぐ来てもらうための LINE か。なっとく。
1607-35_Pesttafel_Augsburg_anagoria.JPG
2020年10月13日に世界中で Covid-19の感染者はもう3780万人を超えている。ジョンソン&ジョンソンはワクチンの最終段階のテストを、ボランティアのひとりが unexplained illness になったことにより中断したとのニュースもあった。トランプ大統領の治療とその結果もどうなんだろう。いろいろよくわからない。
過去の伝染病について地域単位、複数の国々での記録はどうなっているのか関心を持つ人々が多くなったせいか出版物も増えてきた。ある意味貴重な時期だから自分も勉強してみようと思う。
まずペストから
ユスティニアヌスのペスト、Plague of Justinian (541 - 549AD)
東ローマ帝国、ビザンツ帝国の皇帝であったユスティニアヌス一世の名前がつけられたペスト。
ペスト (pest) はドイツ語、Plague は英語。
別名、黒死病 (Black Death) は、皮膚が内出血で黒くなってしまうことから名前がつけられた。ドイツ語は調べると Schwarzer Tod だった。シュバルツは黒。黒い森とかドイツ人から聞いたことを思いだした。
中世の黒死病 / 腺ペスト、 Black Death/Bubonic Plague (1347 - 1351)
感染したネズミ → 吸血したノミ に刺されると、リンパ節が腋、鼠蹊部で腫れる。
17世紀ロンドンのペスト大流行、Great Plague of London (1665 - 1666)
コレラ、 Cholera (1817 - 1923)
天然痘、Smallpox (18世紀から現代)
エピデミックの一覧表、List of epidemics が Wikipedia にあった。
夏のあいだは、新型コロナに注意のアナウンスがほとんどだったが、
数日前から、国勢調査の締め切りが7日と繰り返している。
ぎりぎりに仕上げるのは、夏休みの宿題くらいで、まだ回答してないひとがアナウンスを聞いてやろうかとなるかどうかはわからないけど、回収率はまだ低いままなんだろう。
漠然と「開港」というイメージを思い浮べながら読むと、知らないことがたくさんある。
中国が開港したのは1842年(天保13年) 、阿片戦争の結果
アメリカの使節ペリーが浦賀に来航したのが1853年(嘉永6年)
長崎海軍伝習所が1855年(安政2年)に開設
オランダ人から数学を学ぶ
この伝習生のなかには、勝麟太郎などと小野友五郎などという人たちがいた。
このうちの小野友五郎が40年後に当時の思い出を語っている。そのなかに微積分までやったというくだりがある。
「支那人の作った『代微積』という書物があります。そこで手前などが稽古して、蘭人から受けたところの言葉で申すと、其の代数といふものは、ホーベル・アルゲブラと申す。手前の習ひましたのは、ホーベル・アルゲブラ、それからヂヘレンシャーレ・アルゲブラが微分、インテフラールが積分でございます。」
中国の数学書には相当程度の高い本があった。1842年に開国していらいイギリスの相当優秀な宣教師が中国の有力な数学者と協力した成果だった。
1859 『代数学』
1859『代微積拾級』
1859『微積溯源』など
小倉によれば、これらが日本語で出版されるようになったのは、明治十四五年頃からだと言う。
そうだったのか、と開港のあとのことを中国、日本について知った。
さらに小倉は、数学で使う基礎的な述語の訳について書いている。
大部分は、中国から伝わったもので。最も古いのは幾何で1607年から使われている。
しかし、代数、函数、微分積分などは、1853年の『数学啓蒙』の序文にはじめて出てきたということであった。
高杉晋作は1862年(文久二年)に、中牟田倉之助、五代友厚らと上海へ渡り、中牟田の日記によれば高杉はこの『数学啓蒙』と『代数学』などを買い、中牟田はそれにくわえて『代微積拾級』のほかに科学書を買い入れたそうである
白ムスカリがやっと揃ってきた。 小さなナメクジが寄ってきたのを発見。 ムスカリの花の色は、ほとんど青色でちょうど葡萄のようにも見える。 白は、アルビノだと Wikipedia に記述があった。https://www.wikiwand.com/en/Muscari The fl...