えひめの由来

古事記 ー 日本古典文学大系『古事記』より

ここに伊邪那岐命、先に「あなにやしえをとめ。」と言ひ、
後に妹伊邪那美命、「あなにやしえをとこを。」と言ひき。
かく言ひ終へて御合して、生める子は、淡道の穂の狭別島。
次に伊予の二名島を生みき。この島は身一つにして面四有り。
面毎に名有り。
故、伊予国は愛比売と謂ひ、讃岐国は飯依比古と謂ひ、粟国は大宜都比売と謂ひ、土佐国は建依別と謂ふ。

古事記ではこのように四国の4つの国のそれぞれの呼び名と意味が示されている。
いや意味の具体的な説明は古事記にはないが、つかわれている文字から想像する。

えひめ  愛比売
いひよりひこ  飯依比古
おほげつひめ  大宜都比売
たけよりわけ  建依別


好きな解釈と間違えた解釈

えひめは、美しい女性の意とする解釈がある。愛らしい + ヒメ。まちがっても、愛を比べて売るのではない。
ヒコは男性。ヒは、日 ・太陽の意。コは、男の子。ちなみに彦は、美しい男性。
えひめ=女性
いひよりひこ=男性
おほげつひめ=女性
「たけよりわけ」は定説では男性となっている。

八幡濱の地名の由来

「總鎮守八幡神社御由緒」ヨリ

一、「八幡濱」地名の起源である當八幡神社は、神功皇后三韓征討ゆかりの靈蹟に、八幡大神の神靈降臨ましまししを、奈良朝は元正天皇の養老元年(皇紀壹、參七七年)八月拾九日、神主始祖清家貞綱が、矢野郷參拾參箇村の總鎮守として、御創建申し上げた神社であります。
二、舊官幣大社宇佐神宮は、當神社の御分靈を奉戴して豐後水道を渡り、大分縣奈多濱に御上陸、景勝の地を求めて八年の後、現在の宇佐市龜山の聖地に、聖武天皇の神龜貳年(皇紀壹、參八五年)に、御鎭座になられた事は、=官幣大社宇佐神宮明細帳、宇佐八幡記、八幡宇佐託宣集、縣社奈多神社明細帳、八幡中宮縁起、等=神祇史研究上最高の文獻史料により、明白であります。
三、日本全國で「八幡大神」を奉齋する神社は、約四萬五千社あります。當神社は其の内で、譽田八幡宮、宇美宮、香椎宮に次いで、「第四番目に古い」神社であります。
四、當神社の社叢境内一帶は古来歌枕「矢野神山」として世に知られ、最古の歌集萬葉集に、柿本人麻呂の歌( 妻ごもる矢野の神山露霜ににほひそめたり散らまく惜しも、10巻2178)を始め、歴代の勅撰和歌集、有名歌集に數多くの名歌を載せられた名山舊蹟であります。
五、歌枕「矢野神山」と稱する處、他にも處々あり。宇和島藩主伊達村候公は、御歌所司中納言冷泉爲村卿に其の檢考を請われ、宮中御歌所の總力を擧げ五箇年の歳月を費し、全國の名勝舊蹟を悉く調査御檢討の結果、後桃園天皇の明和六年の冬、=萬葉史蹟矢野神社は、伊豫國宇和郡八幡濱浦八幡宮なり=と、最高権威の御決定。「錦の御旗・御墨付」を賜りました。
六、昭和四拾貳年拾月、御鎭座臺、貳五〇歳式年大祭齋行。奉祝新改築多し。神徳日々に新に、神威益々赫々たり。

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