2020年11月1日日曜日

国際電信ケーブルのさきがけは長崎からだった

 明治4年の6月に長崎と上海間にケーブルが敷設された。さらに

その年の10月に長崎とウラジオストックがケーブルでつながった。


この明治のはじめは科学技術の輸入がさかんだった。

そのためにも教育制度を充実させる必要に迫られていた。

明治5年に学制が頒布された。

日本全国を8つの大学区に分け、大学区を32の中学区に分けた。

その中学区の下に小学区をおいたのだ。こう区別すると大中小の学校の由来がよくわかる。

えっ、高は?という疑問は残しておきます。

で、一番下の小学校は、下等小学校が4年、上等小学校が4年のあわせて8年だった。

数学にかんする授業内容を知るとかなりレベルが高いと感じる。

下等小学校では、分数をおわり、比例を始めたところで4年をおわる。

上等小学校では、その比例から利息、級数、対数を、幾何は幾何概念ということで、これはなかなか相当なレベルの数学教育だ。

電信ケーブルにもどれば、これが日本が国際的な電信ネットワークにはいった時期ということで、明治の4、5年頃はすごい変化で、今のネットやSNSどころではなかっただろうが、数学教育にしてもどこまで実行されたのかはよくわからない。

参考書: 小倉金之助『近代の数学』


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