その翌日だったか所要で京阪神にでかけた帰り、交通は混乱していて飛行場までたどり着けず困ってしまった。急いでいたため大阪南港まで行きフェリーに搭乗した。そのフェリー便は九州行であったが神戸などから避難する人々が一杯のために客室はほぼ満席だった。家族連れも多く不安な話し声が深夜まで続いていた。
また船が神戸沖を通過する際には余震があり海はうねりフェリーの客室はどよめくほど大きく揺れたのが記憶に残されている。
地元の回覧板で、このあたりの世帯数が 1033 になったことを知る。 今朝の新聞では、この国でこのところ海外永住者が増加している記事が一面に出ていた。 歴史的にみれば地球規模での人口移動は集落を越え、国境を越えてあったこと。 今さらのことでもなく、寂れてゆくところと繁栄するとこ...
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