2026年8月17日月曜日

夏のおわりかけに「わびさび」のことなどをおもう


このところ目の前に置いてるCASIOの電子辞書を引く。はじめに「デジタル大辞泉」では「わび(侘び)の項で、

(1)茶道・俳諧などにおける美的理念の一。簡素の中に見いだされる清澄・閑寂な趣。中世以降に形成された美意識で、特に茶の湯で重視された。→寂び

(2)閑寂な生活を楽しむこと。

(3)思いわずらうこと。悲嘆にくれること。

「今は我(あ)は一そしにける息の緒(を)に思ひし君をゆるさく思へば」万葉集・六四四>

と、3通りの解釈がある。

なるほど、(1)は茶道、俳諧か、どちらもその道には今迄の人生ではふれかかりそうになったことはあったが、はなれてしまった道となってしまい、はるか彼方に去った。

(3)は、なるほど和歌では恋の用例がある。

とすると、自分が今一番関心があり、人生の教訓としたいのは(2)だ、とくに現代ではテレビ・新聞も日々、AI,AI,AI……生成AIだよ!とその繰り返しで洗脳モードかと勘繰るほどの反復姦しい日々にあっては 、もとはシンプルなチューリングマシン原理から生まれたはずだが、ネットの大海がデータ倉庫なるものに収まるようになってからは、簡素なものからますます遠ざかってしまった。


チューリングマシンには美意識があったように感じたのだが、残念としか言いようがないことになっている。


では、どうやって具体的に不可欠となってしまったネット社会で、閑寂な生活を楽しむかが課題だ。


 

 

 

 

 

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