2020年9月25日金曜日

ある季節工の日記9月25日を読む

 1972年の日記だが、「ニッサンとはもう月1万台の差になったろうが、それで売れても売れんでもどんどん作れ、というのが社長命令やそうや」「ふーん、ほうか」という労働者の会話。

立命館産業社会論集にある下記の論文だと、

http://www.ritsumei.ac.jp/ss/sansharonshu/assets/file/2013/49-3_02-01.pdf

1972年から73年は、アメリカも販売台数増加期のようだ、

トヨタ自動車社史には、


となっている。このうち何台かは、この日記の著者が作った部品が組込まれているのだろう。もう現存する車体はほとんどないだろうが。


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